高校野球夢追い人

野球が好きで野球監督がしたくて教員になりました。自分の人生を豊かにしてくれる野球と美術について「メモ書」のようなブログです。和歌山県の野球をやっている方々をリスペクトしています。2019年6月7日 インスタ「kazenofu」(風の譜)も見てね。

    野球が好きで野球監督をしたくて教員になりました。自分の人生を豊かにしてくれる野球と美術について「メモ書」のようなブログです。
    和歌山県の野球をやっている方々をリスペクトしています。
    2019年6月7日にスタートし4年目です。
    インスタ「kazenofu」(風の譜)も見てね。

    カテゴリ: 文化

    9月10日から11月6日まで、和歌山県立近代美術館で稗田一穂展が開催されます。
    悠々美術館から「晩夏」を出展しています。

    「晩夏」は1998年、第25回創画展に出展され東京都美術館をスタートに、京都市美術館、愛知県美術館、呉市美術館、博多大丸、弘前市立博物館と全国各地を巡回しました。

    さらに2002年、富山県立近代美術館の稗田一穂展に出展されたあと、美術商を介して

    和歌山の悠々美術館にコレクションされました。

    今回、和歌山県立近代美術館に出展された後、田辺市立美術館でも出展されます。

     

    稗田一穂画伯は1920年、和歌山県田辺市で生まれました。
    1943年、東京美術学校日本画科を卒業。

    1966年から1968年まで法隆寺金堂壁画再現に従事。

    1972年、東京芸術大学美術学部日本画科教授。

    1991年、日本藝術院賞・恩賜賞受賞。

    1994年から2007年まで女子美術大学大学院教授。

    2001年、文化功労者。

    2021年、100歳で逝去。

     

    和歌山県出身の日本画家では、川端龍子、下村観山、清水達三らとともに高い評価を得ている。

    「晩夏」
    写真の説明はありません。

     

    悠々美術館に平松欽一画伯の絵画が寄贈されました。

     

    8月、悠々美術館に千葉県柏市からご夫婦が来館されました。

    悠々美術館が和歌山県ゆかりの美術品をコレクションしていることをTVで知って来館してくださったのですが、「美術品を寄贈したい」という申し出がありました。

    ありがたいことなのでお受けして、平松欽一画伯の作品6点が悠々美術館のコレクションに加わりました。

     

    平松欽一画伯は1920年、和歌山県生まれ。1942年、東京美術学校卒業後、和歌山市立女学校に美術教師として赴任されましたが、1945815日に太平洋戦争が終戦。

    1946113日、日本国憲法の公布を受け教育勅語が廃止され、1947331日に教育基本法が施行され、中等学校や女学校にかわり中学校、高等学校がつくられて男女共学となりました。

    和歌山市立女学校は1948年に和歌山県立星林高校として創立され、その校章が平松欽一先生によってデザインされました。

    この事実を教えていただいて、平松欽一先生の作品を悠々美術館でコレクション、展示するよりも、和歌山県立星林高校に寄付して展示していただいたほうが生徒のみなさんやOB、OGに見ていただくことができ、星林高校の伝統とも結びつき、よりよいのではと考え、9月1日、星林高校に寄贈させていただきました。

     

    【平松欽一画伯】1920年~2009

    和歌山県生れ。1942年、東京美術学校卒業。

    創元会、自由美術協会、日本美術家連盟に所属。

    個展13

    1955年、東京美術学校、東京芸大出身の若手作家らが中心となって

    前衛美術グループ「A55集団」を結成し和歌山県を拠点に活動。

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